2017年5月26日金曜日

【TORCH Vol.094】 限界的トレーニング

黒澤 尚
 
 
 超一流になるのは、「才能」だと思う?「努力」だと思う?
 
 そんな質問を投げかけると彼女達の多くは、心の奥底では才能と言いたい気持ちを抑えながら「努力」と答えてくれた。彼女達の中には潔く「才能」と即答した者もいた。
 これは私が大学日本女子代表チームのコーチをしている時、あるミーティングでの選手とのやりとりである。 

 なぜ、どんな分野にも驚くほど優れた人というのが存在するのだろうか。
 
 スポーツ、音楽、科学、医療、ビジネスなど、どこにでもその才能で周囲を圧倒するひとにぎりの傑出した人たちが必ずいる。そんな優れた人に出会うと、当然ながら私達凡人は、生まれつき人並以上の何かを持っていると考える。「彼は才能に恵まれている」、「彼女には本物の才能がある」というように。
 
 だが、本当にそうだろうか。世の中にはスポーツ選手、医者、教師、営業マンなどそれぞれの分野でエキスパートとして突出した成果をあげる特別な人が存在している。しかし、こういう人たちには特別な「才能」があることは間違いないが、むしろそれよりはるかに強力であること、そして何より重要なのはこの才能はあらゆる人に生まれつき備わっていて、適切な方法によって引き出せるものであることが心理学的研究や事例から少しずつ明らかになってきた。
 
 今回、紹介するフロリダ州立大学心理学部教授アンダース・エリクソン著『超一流になるのは才能か努力か?』という本には、その適切な方法によって素晴らしい才能を引き出した様々な研究成果と事例がまとめられている。
 
 この本にまとめられている、ある事例を紹介する。
 
 音楽界で神童・モーツアルトが持っていた絶対音感は、ある人だけが持つ特別な才能と考えられていた。しかし、心理学者の榊原彩子は、二歳から六歳までの子ども二十四人を集め、ピアノで演奏される和音(コード)を音だけで聞き分けられるようにするため、数か月に渡ってあるトレーニングを実施したところ、全員が絶対音感を身に付け、ピアノで演奏される個別の音符を正確に識別できるようになっていた。
 
 七ケタの数字を覚えるのが限界であったごく平凡な記憶力しかない学生がいた。しかし、彼は心理学者と共にあるトレーニングを繰り返し行ったところ、最終的に八十二ケタも記憶することができた。
 
 上記に記した適切な方法、あるトレーニングのことを「限界的トレーニング」と言う。限界的トレーニングとは、その人の限界を少し超える負荷を与えることであり、人間の脳と身体にもともと備わっていた適応性を活かし、新たな能力を生み出していくものである。
 
 私達大学教員は日々、教育現場に立ち、様々な視点からその学生に適した教育・指導を試み模索しているが、その分野において才能がある、ないと一言で片づけてしまうことも少なくない。この本にはそんな考え方を払拭し、教育、スポーツチーム・選手の指導、仕事、子育てなど様々な分野に応用できる数多くのヒントが隠されている。また、自分をブラッシュアップしたいと考えている方にぜひ読んでいただきたいお勧めの本である。

 私達大人がそれぞれの分野において工夫された限界的トレーニングを実践し、今、目の前にいる人の人生の可能性を切り拓く一助となればこれは大変素晴らしいことだろう。