2017年5月30日火曜日

【TORCH Vol. 095】  1ミリの努力


1ミリの努力』


菅野 恵子

 
  私は幸いなことに、大学卒業後もバスケットボール競技を続けられる環境にいました。バスケットボールを本格的に始めたのは、小学4年生のころです。そのころから、(いつか指導者になりたいな…)と思っていたことを思い出します。

現役中は、指導者やチームメイトに恵まれ、何度か日本一を経験することもできました。引退を決めたのは、今から5年前。その後、所属していたチームのアシスタントコーチを務めることになりました。

それからチームを離れ、現在は大学で指導者として、チーム携わることができています。これまでの経験からコーチングを行っていますが、なかなかうまくいかないことを実感しているのも事実です。19年間も選手をしていて、ある程度高いレベルのバスケットボールを経験してきたのに、立場が変わると、こんなにも変わるものかと痛感しています。上手くなる、強くなることが、簡単ではないことがスポーツの面白さであることは理解しているつもりですが、未だに(自分がやっていた方が楽だな…)なんて思う時があります。勝てそうな試合に勝てないもどかしさは特に、選手の時とは違った感情になります。 

指導者になってから、以前お世話になったチームの監督から、一冊の本を紹介されました。井村雅代さんの「結果を出す力~あと1ミリの努力で限界を超える~」という本です。既にご存知の方が殆どだと思いますが、井村さんは日本のシンクロナイズドスイミングの日本代表監督です。 

その本の冒頭、『大切なのは「心の才能」を鍛えること』と書いてあります。井村監督は物事がうまくいかなかったら、心の中で「自分は頑張ったつもりだったけれど、きっと努力が足りなかったのだ。もっと頑張ろう。もっと努力しよう。」と思えるかどうかが大切で、これを「心の才能」と呼んでいるそうです。その「心の才能」で、1ミリでもいいから前に進む努力を続けることができるかどうかが一番大切だと述べています。この本には、井村監督が「心の才能」を伸ばすために何度も選手に言い聞かせてきた言葉の紹介がされています。 

以下は、この本に書かれている「心の才能」を伸ばすべく「心のスイッチ」をいれた30の言葉の一部です。 

    自分の取れる“一番”を取りにいくことが大切

~浮いてしまうことを怖がってはいけない~

    結果が出てこそ初めて、頑張った日々も輝く

~「私はがんばりました」は言い訳でしかない~

    「できない」わけがない。なぜなら「できるまでやる」から

~できる人が寝ている間に、できない自分が寝ていたら駄目~

    1ミリの努力」を出来る人が結果をだせる

~小さな目標をクリアすることの大切さ

    チームのレベルは、中間ではなくトップに合わせる

~各自が100%以上の力を発揮する秘訣~

    チームワークという言葉ほど、手抜きの人間を生み出す言葉はない

~レベルの低い絆は、傷の舐め合いでしかない~

    練習で100回やって99回できても、できなかった1回がでるのが本番

~オリンピックに魔物は棲んでいない~ 

ここに挙げた、たった7つの言葉からも、井村監督の厳しさがみえてくると思います。さらにこの本には、言葉に加え、一つ一つに説明や井村監督なりの根拠が載っています。

私が一番衝撃を受けたのは、上に載せた③の「できない」わけがない。なぜなら「できるまでやる」からという言葉でした。以下は、それに対する一文です。 

『シンクロで、一糸乱れぬ演技を見た観客の方が、皆さんこうおっしゃいます。「なぜあんなに動きがぴったりと合うんですか?」答えは一つです。合うまで練習するからです。できないわけがないのです。なぜなら、「できるまでやる」からです。人生は、うまくいかなくて当然。壁にぶつかって当然。だから、できるまで努力するのです。』 

競技は違いますが、今まで、これだけの覚悟で競技に向き合っていたのか、選手としても指導者としても、「できない」という選択肢を作らず、「できるまでやる」という、気持ちで取り組んでいたか…考えさせられました。

また、⑥に挙げた、「チームワークという言葉ほど、手抜きの人間を生み出す言葉はない」という言葉だけを見ると、私と正反対な考え方だなという印象を受けました。しかし、読み進めると、井村監督の言葉の意図が分かります。“失敗しても誰かが助けてくれるだろう”とか、“周りの人が自分の短所を補ってくれるから、私はこのくらいの力で大丈夫”という、中途半端な個人の集まりのチームワークは手抜きの人間を生み出す。しかし、個人個人が今ある力を出し切った先の、“レベルの高いチームワーク”であれば必要だということでした。しかし、指導にあたった大半が、甘えの先のチームワークに逃げ場所を作っているため、この言葉をかけていたようです。 

バスケットボールには、チームワークは欠かせません。逃げ場となるチームワークではなく、“レベルの高いチームワーク”を追い求めたいと強く思いました。

私の中の井村監督の印象はテレビを通して、「厳しい」「怖い」「スパルタ教育」などでした。本を読んでもその印象は変わりません。しかしこの本を読み、むやみやたらに厳しいだけではなく、本気で選手に向き合い、勝つための努力を惜しまず、挑戦しているのだと分かりました。 

全く同じようにはいかないと思いますが、井村監督の様に選手の「心の才能」を伸ばし、結果が出るように、私自身が努力していこうと思いました。19年間も長い間、バスケットボールを続け、(いつか指導者になりたいな…)と思っていたことが現実になった今、次の目標に向け、指導者として選手とともに、日々1ミリでも進んでいけるようにしたいです。 

壁にぶつかった時や何かに迷ったときは、「心の才能」を伸ばせる時だと思います。その時にこの本を読んでみると、自分と置き換えられる言葉があるかもしれません。「心のスイッチ」を入れたい時などに、是非、読んでみてください。

2017年5月26日金曜日

【TORCH Vol.094】 限界的トレーニング

黒澤 尚
 
 
 超一流になるのは、「才能」だと思う?「努力」だと思う?
 
 そんな質問を投げかけると彼女達の多くは、心の奥底では才能と言いたい気持ちを抑えながら「努力」と答えてくれた。彼女達の中には潔く「才能」と即答した者もいた。
 これは私が大学日本女子代表チームのコーチをしている時、あるミーティングでの選手とのやりとりである。 

 なぜ、どんな分野にも驚くほど優れた人というのが存在するのだろうか。
 
 スポーツ、音楽、科学、医療、ビジネスなど、どこにでもその才能で周囲を圧倒するひとにぎりの傑出した人たちが必ずいる。そんな優れた人に出会うと、当然ながら私達凡人は、生まれつき人並以上の何かを持っていると考える。「彼は才能に恵まれている」、「彼女には本物の才能がある」というように。
 
 だが、本当にそうだろうか。世の中にはスポーツ選手、医者、教師、営業マンなどそれぞれの分野でエキスパートとして突出した成果をあげる特別な人が存在している。しかし、こういう人たちには特別な「才能」があることは間違いないが、むしろそれよりはるかに強力であること、そして何より重要なのはこの才能はあらゆる人に生まれつき備わっていて、適切な方法によって引き出せるものであることが心理学的研究や事例から少しずつ明らかになってきた。
 
 今回、紹介するフロリダ州立大学心理学部教授アンダース・エリクソン著『超一流になるのは才能か努力か?』という本には、その適切な方法によって素晴らしい才能を引き出した様々な研究成果と事例がまとめられている。
 
 この本にまとめられている、ある事例を紹介する。
 
 音楽界で神童・モーツアルトが持っていた絶対音感は、ある人だけが持つ特別な才能と考えられていた。しかし、心理学者の榊原彩子は、二歳から六歳までの子ども二十四人を集め、ピアノで演奏される和音(コード)を音だけで聞き分けられるようにするため、数か月に渡ってあるトレーニングを実施したところ、全員が絶対音感を身に付け、ピアノで演奏される個別の音符を正確に識別できるようになっていた。
 
 七ケタの数字を覚えるのが限界であったごく平凡な記憶力しかない学生がいた。しかし、彼は心理学者と共にあるトレーニングを繰り返し行ったところ、最終的に八十二ケタも記憶することができた。
 
 上記に記した適切な方法、あるトレーニングのことを「限界的トレーニング」と言う。限界的トレーニングとは、その人の限界を少し超える負荷を与えることであり、人間の脳と身体にもともと備わっていた適応性を活かし、新たな能力を生み出していくものである。
 
 私達大学教員は日々、教育現場に立ち、様々な視点からその学生に適した教育・指導を試み模索しているが、その分野において才能がある、ないと一言で片づけてしまうことも少なくない。この本にはそんな考え方を払拭し、教育、スポーツチーム・選手の指導、仕事、子育てなど様々な分野に応用できる数多くのヒントが隠されている。また、自分をブラッシュアップしたいと考えている方にぜひ読んでいただきたいお勧めの本である。

 私達大人がそれぞれの分野において工夫された限界的トレーニングを実践し、今、目の前にいる人の人生の可能性を切り拓く一助となればこれは大変素晴らしいことだろう。

2017年5月16日火曜日

【TORCH Vol.093】 スポーツの美しさ


                                         高橋 徹


 去る8月、熱狂と感動とともにリオデジャネイロ・オリンピックが閉会しました。今大会も日本人選手の活躍には目覚ましいものがあり、毎日眠い目を擦りながら、夜遅く(朝早く?)までテレビにくぎ付けになった方も多かったのではないかと思います。 

 さて、今回のオリンピックでのアスリートのプレーの数々を皆さんはどの様な観点で観ていたでしょうか?金メダルを目指して勝ち負けを競い合う様子に一喜一憂したでしょうか?一人ひとりの選手が背負うヒューマンヒストリーに感動したでしょうか?競技の専門家としてトップアスリートのプレーを分析していたでしょうか?知人や友人が出場していたためにまるで家族のように応援していたでしょうか?‥など。アスリートのプレーを観るという行為には人それぞれに多様な形があります。そのようなスポーツの観方の一つとして、アスリートのプレーの中に“美しさ”を見出すという変わった観方があります。 

 内村航平選手の鉄棒演技の着地の瞬間、男子陸上4×100mリレーのアンダーハンドパスの淀み無い繋がり、錦織圭選手のラリーの攻防後のドロップショットによる空間の静寂、柔道選手が一本勝ちを収める瞬間の技の繰り出し、今回のオリンピックにおいても沢山の美しいプレーを目にすることが出来ました。また、オリンピックに限らず、日頃テレビで目にするスポーツの中にもその美しさは存在します。野球選手が守備で見せる二遊間の球捌き、フットボールチームが見せる幾何学模様を描くかの如くのパス回し、あるいはイチロー選手がプレー中に見せる(魅せる)一連の所作、横綱が見せる立合いの所作など、枚挙に暇が無いほどに、スポーツにおける“美しさ”に私たちは魅了されているのです。

 今回ご紹介する長田弘編『中井正一評論集』に収められた数編のエッセーは、そのようなスポーツにおける“美しさ”の構造を見事に解明して見せてくれます。この本は美学者である中井正一の18編のエッセーが収められた一冊であり、その中でも特に『スポーツ気分の構造』『スポーツの美的要素』『リズムの構造』『美学入門』の4編には、スポーツにおける“美しさ”の様相が書き記されています。中井自身は明治の生まれであり、またその文章の多くが脱稿されたのも戦前(昭和初期)ということもあって、表現などに若干の古めかしさは感じられますが、現代を生きる私たちにとってはその文体のおかげでより深く文章に惹きつけられる気さえします。さて、『美学入門』の一節を紹介しましょう。 

ボートのフォームなどは、あの八人のスライディングの近代機械のような、艇の構造に、八人の肉体が、溶け込んで、しかも、八人が同時に感じる調和、ハーモニー、「いき」があったこころもちが、わかってこないと「型」がわかったとはいえないのである。しかも、それがわかった時は、水の中に溶け込んだような、忘れようもない美しいこころもちなのである。よく「水ごころ」とか「ゲフュール」などど、ボートマンがその恍惚とした我を忘れるこころもちを呼んで楽しむのである。それはまた他の人が見ても、近代的な、美しいフォームなのである。この気分が八人の乗りてに一様に流れてくる時、ひとりでにフォームは揃ってき、ゆるがすことのできぬもの、一つの鉄のような、法則にまで、それは高まってくるのである。 

 私はボート競技をしたことがありませんし、湖で漕ぐレジャーボートに乗った経験がある程度です。しかし、この文章を読むことで、先日のオリンピックでも行われていたボート競技の選手たちの心持や、その競技を観て素人である私であっても美しさを感じることのできた理由が少しは理解できるような気がします。

 スポーツを観ていると、とかく勝ち負けという結果にのみ目が行きがちになってしまいますが、勝か負に至るまでのプレーの中にもスポーツを観る面白さが潜んでいるのかもしれません。スポーツのプレーに“美しさ”を感じたことのある方はもちろん、そんな事を気にしたことがない方にとっても、この本はお勧めの一冊です。 

長田弘編『中井正一評論集』岩波文庫(青帯)

※『美学入門』はそれだけで一冊で上梓され、中井正一著『美学入門』朝日選書 としても出版されていますが、『中井正一評論集』の方が安価、且つ他の作品も併せて読めるのでお勧めです。