2017年8月10日木曜日

[TORCH Vol.099] 保育士による『政治学入門』―子ども・反緊縮・アナキズム―

三谷 高史


ブレイディみかこ(2017a)『子どもたちの階級闘争―ブロークン・ブリテンの無料託児所から―』、みすず書房

このブログの読者(として想定されているはず)の学生の皆さんは、「積読(つんどく)」ということばをご存知でしょうか。買った、借りた、いただいたなどした本を「あとで読もう」、「必要な時に読もう」と、積んでおく行為(=積んどく=積読)を指します。そう、「読」という字が含まれていながらも、実際には読んでいないのです。積読とは怠慢…ではなくて、忙しさの象徴です。今回、皆さんに紹介する本は積読状態──お恥ずかしい話、わたしの場合は完全に怠慢だったものなのですが、とても「良い」本でしたので皆さんに紹介したいと思います。

本書の著者、ブレイディみかこ氏は福岡県出身で1996年から英国在住、現地の保育士資格を持っている方です。著者は英国南東沿岸部に位置するブライトン市の「平均収入、失業率、疾病率が全国最悪の水準1パーセントに該当する地区」にある無料託児所――「底辺託児所」に2008年から2010年までボランティアとして従事し、その間に国の支援プログラムを利用して保育士の資格を取得しました。「底辺託児所」のある施設は、公的扶助を頼りに暮らす政治的急進主義者やアンダークラス(貧困階級)、移民の家族といった多様性に富む人びと・家族が利用していて、著者はそこで子どもたちと「格闘」しながら、英国社会を眺め、暮らしてきました。その後、著者は民間の保育所に勤務することになるのですが、そこがとある事情から潰れることとなり、2015年にまた「底辺託児所」に戻ってきます。
しかし、2015年以降の保守党政権による緊縮(財政支出を縮小する)政策の影響を大きく受けた「底辺託児所」はすっかり様変わりし、最終的にはフードバンク(現物[食料品]給付のみを実施する施設)となってしまいます。著者を育んでくれた「底辺託児所」は、最終的に潰れてしまうのです。本書は様変わりした託児所――「緊縮託児所」での日々からはじまり、後半はかつての「底辺託児所」での日々、という構成となっています。

紙幅の都合上詳細は割愛せざるを得ませんが、本書の内容には日々の出来事や保育内容・方法に関する内容も多く含まれていて、保育実践記録(というほど固い書き方でもありませんが)として読んでも充分に読み応えがあります。驚くような「問題」行動を起こす子どもたちと著者とのかかわりの中に、著者の保育者としての力量、専門性を見ることができます。しかし、わたしには本書はそれとは別の価値が、さらに言えばそれ以上の価値があるように感じられました。ただの(というと語弊がありますが)困難をかかえる託児所での保育実践記録ではない、という意味です。さらに、ここでいう価値とは保育士や教師といった子どもにかかわる仕事を目指す人だけでなく、すべての人にとっての価値です。
 具体的には、著者が日々の暮らしを通して見た英国社会のありようの記述と、それと切り離されずに語られる政治的主張です。本書における著者の主張を強引に要約すれば「反緊縮とアナキズム」となるでしょうか。極めて政治色が強く、かつ矛盾するかのようなこの二語が保育士の仕事と結びつくとは、すぐには信じられないかもしれません。「わたしの政治への関心は、ぜんぶ託児所からはじまった」という著者は、「政治は議論するものでも、思考するものでもない。それは生きることであり、暮らすことだ」と述べます。著者は緊縮が子どもの生活や保育の現場に与える影響を肌身で感じとり、反緊縮を主張します。著者は社会から「どうしようもない」とされた人間のたまり場だった「底辺託児所」が無くなる経験をもとに、人間の尊厳――アナキズム*を主張します。

 ポリティクス**はわたしたちのごく身近に存在するという事実を、子どもたちとかかわる仕事を通して教えてくれる本書は、「保育士による『政治学入門』」と評しうる1冊だとわたしは思います。

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*アナキズム[アナーキズム](anarchism=無政府主義、反権威主義などと訳されますが、アナキズムほどその内実が多様な政治思想・実践は珍しいと思います。『子どもたちの階級闘争』では、著者がアナキズムをどのように捉えているか、そう多くは語られていません。どちらかと言えば2013年に出版された『アナキズム・イン・ザ・UK─壊れた英国とパンク保育士奮闘記─』(Pヴァイン)の中にその記述が多く見られると思います。また、下記の著作リストにある複数の著作とあわせて読むと、一人の人間としての著者の思想を読み取ることができると思います。

**ポリティクス(politics=政治、政治学、政治的かけひきなどと訳されますが、もう少し広い関係性の概念として捉えておいたほうが良いと思います。政治の世界(国会や諸議会)だけで議論されるようなことがらのみを指すのではなく、日常的にも存在する「政治的・権力的関係を含む人と人とのかかわり」と捉えておくほうが良いのではないでしょうか。

【ブレイディみかこ著作リスト】※本文中で取り上げたもの以外
2014)『ザ・レフト──UK左翼セレブ列伝』、Pヴァイン
2016a)『ヨーロッパ・コーリング──地べたからのポリティカル・レポート』、岩波書店
2016b)『THIS IS JAPAN――英国保育士が見た日本』、太田出版
2017b)『花の命はノー・フューチャー──DELUXE EDITION』、筑摩書房(初版単行本は碧天舎から2005年に出版)
2017c)『いまモリッシーを聴くということ』、Pヴァイン

【ブログ】
The BradyBloghttp://blog.livedoor.jp/mikako0607jp/ [viewed 2017/08/09]

2017年8月1日火曜日

[TORCH Vol.098] 「睡眠導入剤としての本も…」


佐々木 鉄男


今から44年前、大学受験のため通っていた東京の予備校で、英文解釈を担当していた慶応大学のある教授が、「夜寝付かれないとき、適当なところを開いて読んでみたまえ。睡眠導入剤になるから…」と薦めてくれたのが、エルネスト・ディムネの『考える技術』(弥生選書・大西尹明訳)でした。昭和45年初版で、私が購入したのは48年の第3版。転居を繰り返しながら、紛失せずにまだ手元に残っていますが、外観はかなり黄ばんでいます。
確かに「じじつ、プラトンからハーバート・スペンサーにいたるまでのあらゆる哲学者は、その哲学のうちに教育論と思考の技術との二つを包含しており、したがってその二つのつじつまは合っているということになる(p.78)」等の文章をしばらく読みすすむと、心地よい眠りに誘われていきました。ところが、眠くなりかけてきたところで、急に視界が開くように活字の先に広がる世界が見えてくることがあります。そうすると、目が冴えてくる。困った本でした。(エルネスト・ディムネは1866年フランスに生まれ、第一次世界大戦後にアメリカに移住し、1930年代にベストセラー作家になったという。1954年死去。) 

 イスラム教徒の国でありながら、政教分離を進めて西側との関係を深め、EUへの加盟を目指してきたトルコの人たちの心情や日常を垣間見ることのできる小説があります。1996年にノーベル文学賞を受賞したオルハン・パムクの『雪』(上下巻・早川epi文庫)です。主人公は、ドイツから13年ぶりにイスタンブールに戻ったKaという詩人。彼が少女の連続自殺の取材で訪れたトルコの北東の辺境の町カルスで、昔の学生運動の仲間だった美貌のイペキと再会。彼女との関係を中心に展開するストーリーで、世俗主義の現体制を守ろうとする勢力と、イスラム主義者、イスラム過激派のテロリストとの微妙な関係の上で日常が営まれる中、突如大雪の3日間にクーデターが発生する。トルコの人たちの置かれている複雑な状況を肌で感じることができる作品でした。
 エルドアン大統領が、首都アンカラの郊外に、まるでオスマン帝国時代のスルタンの宮殿を思わせるような大統領公邸を作り話題となった2014年の秋に妻とトルコを訪れました。ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王を公邸に迎え会談したタイミングでした。まだトルコ国内でのテロの発生はほとんどなく、イスタンブールやエーゲ海沿いのトロイ、エフェスはもちろん、中央アナトリアの方まで足を伸ばして、トルコを満喫しました。
 しかしその後、2016年に軍の一部がクーデターを起こして失敗、するとエルドアン大統領はクーデターに加わった軍人だけでなく警察や公務員、記者などに至るまで大規模な粛清を行います。さらに大統領の権限を大幅に拡大する憲法改正の国民投票を実施し、独裁体制を確立します。小説をも上回るスケールで展開するトルコの行く末に唖然とするしかありませんでした。 

スポーツに関連する本をひとつ。『たかが江川されど江川』(新潮社・江川卓+玉置肇・西村欣也・長瀬郷太郎著)
私が仙台放送に入社した昭和53年の11月に行われたプロ野球ドラフト会議、江川卓は前年のドラフトで指名されたクラウン(福岡)を断って野球留学していたアメリカから戻り、巨人と電撃契約する「空白の一日事件」の渦中、阪神が江川との交渉権を獲得。最終的に江川は一旦阪神に入団した後、小林繁との交換トレードで巨人に移籍します。
この一件によって江川はマスコミから総攻撃を受けることになります。しかし、そんな江川を冷静に見つめ、取材を続けてきた記者がいました。その一人が日刊スポーツの玉置肇氏です。彼は私の大学時代のサークルの後輩でもあり、若いころ仙台支局にも籍を置いていました。
『たかが江川されど江川』を読むと、心から野球を愛しながらも、ある「仮面」をかぶり続けて現役時代を送らざるを得なかった江川と、適度な距離を保ちながら、時代の証言者として江川を取材し続けてきた玉置記者との関係が見えてきます。
残念ながらこの本は絶版になっていて、amazonで中古か、kindle版でしか入手できないようです。

最後にお勧めの本をもう一冊
 
野球を愛したルーズベルト米大統領は「一番おもしろい試合は、8対7だ」と語ったそうで、それ以来、8対7で奇跡の逆転劇を果たした試合をルーズベルト・ゲームと呼んでいます。池井戸潤の『ルーズベルト・ゲーム』(講談社)は、廃部寸前となっていた社会人野球部が、リストラの嵐の中で存続できるのか、奇跡の逆転劇を見せるのか、夏休みに楽しみながら読める本です。テレビドラマで見てしまった人にはお勧めしませんが…。でも学生の皆さんは新聞をとらないばかりか、テレビもあまり見ていないようなので大丈夫かもしれませんね。

2017年7月11日火曜日

【TORCH Vol. 097】 ともに戦える「仲間」のつくり方

     池田 敦司

「何をやるか」ではなく「誰とやるか」で物事は決まる。 

今までの業界常識を覆す新しいビジネスをスタート、人材紹介ビジネスの世界において一躍風雲児となった著者南壮一郎くんの言葉である。

一人っきりでの会社起業、まだ誰も行っていないビジネスの立ち上げ、悪戦苦闘と挫折を経て、素晴らしい仲間づくりにたどり着き、華々しい船出にこぎつけるまでのプロセス、筆者の思考と行動をこの本は綴っている。

私と筆者との出会いは12年前まで遡る。 

20051月、仙台は市民の長年に渡る念願であったプロ野球新球団誕生への期待感で満ち溢れていた。

私はこの50年振りのプロ野球新球団誕生というエポックメイキングな機会に携わろうと、25年間余り勤務していた東京の百貨店を退職し、地元仙台に戻ってきた。

もう開幕まで2か月半と間近に迫った時期に、私はスタジアム事業本部長として球団に加わった。

新球団を作るということはゼロからのスタートであり、球団運営に必要なすべてのことを短期間に準備する必要があるわけであるが、選手の確保、球場の契約、試合日程の編成等、対外的調整が必要な事項から片付けていかねばならず、自前的な要素の多かったスタジアム運営は後回しにならざる得ない状況下であった。

球場はまさに改修工事の真っ最中、というか、八割以上壊され、ガレキが山積みの状態。あと二か月余りで建設が出来るのであろうか、と一抹の不安を覚えたくらいであった。

球場建築も大きなアウトラインの設計図はあるものの、部屋割り、テナント区画のしつらえ、中売り用ビール基地の設計などオペレーションが決まらないと設計が進まない工事も山積みであった。 

私の入社当時、スタジアム事業本部は部下三人。そのうちの一人が筆者であった。

「ファンエンターティンメント部長の南です」

年の頃は30代半ばであろうか??少し変わった雰囲気の青年に挨拶をうけた。

球場のソフト、試合演出やイベントプロモーションを担当しているとのことであった。

「ファンサービス」という上から目線の言葉ではなく、お客様をもてなすという意味の「ファンエンターティンメント」という名称は彼が拘って名付けたものであった。

彼は今まで自分がいた百貨店業界ではあまり見られない人種であり、いくつかの違和感を覚えたことを記憶している。

目つきは険しく、自分の意見はハッキリ主張する、自信満々でちょっと生意気な若者。

そして、質問をすると返答までに独特の間合い。。。

後から聞いてその訳が分かった。

彼は学生時代のほとんどを海外で過ごし米国の大学を卒業、野球団に参画する前も外資系企業で勤務していたバイリンガルであった。

そして独特の会話の間合いは、頭の中は英語で考えて日本語に翻訳しつつ話す、というとてつもない思考能力ことから生じていたことであった。 

その当時は、スタジアムのハード建築から、運営やオペレーション体制に基づく内装、装置の設計、テナント導入や交通対策、警備計画に至るまで、すべてを一つのゴールに向けて制限時間内に解決せねばならない戦いの日々。

睡眠時間、食事時間が無駄に思え、日夜仕事に没頭する日々が続いた。

振り返ってみれば間違いなくブラック企業状態であったが、誰一人文句を言う人間はいなかった。

みんな「50年に一度有るか無いかという貴重な体験」「歴史に名前を刻める仕事」という使命感に溢れていたのであった。

実際、球場演出のほとんど彼がてがけ、関係者とのハードな利害調整を経て必ず実現する「突破力」を彼は多いに発揮した。

彼が部下でいてくれたおかげで実現できたことは多々あった。

しかし、一方では強引とも思える業務推進力で、自ら敵を作ってしまうこともままあったと記憶している。 

彼は球団立ち上げの2年後、自分の夢の実現の為に、球団を退社、新たな道を歩み始める。

この本は、新たなビジネス立ち上げにおける彼の葛藤の様子を克明に描いている。

テーマとしているのは「仲間づくり」である。

新しいビジネスモデルを考え付つき、ほとんど知識のないインターネットビジネスに挑戦、

個人の知見と経験では突破できない大きな壁、挫折、自分1人でやることの限界と信じて任せ合える仲間づくりへの気づき、そして仲間を増やしていく。

旅を続け仲間を増やすたびにその集団の戦闘力が上がるといった、当時流行したファミコンのRPGのようである。

しかし、そんな本人の多大な苦労とは相反し、爽快なテンポで物語は描かれている。 

個人の能力も極めて高く、推進突破力にあふれている優秀なビジネスマンであった筆者が、組織を作り、仲間づくりを行い、人を率いる経営者としてステップアップしていった姿が垣間見れるのは、50年に一度の新球団立ち上げをともに取り組んだ「仲間」として、とてもうれしい限りである。 

仕事は、社会は、一人では成り立たない。

これから社会に出る学生には是非読んでもらいたい本である。

<対象書籍>
 「ともに戦える「仲間」のつくり方」  ダイヤモンド社刊 ・ 南 壮一郎 著

2017年6月27日火曜日

【TORCH Vol. 096】 絵本の世界を楽しむ


柴田 千賀子
 
 
 海を越えて旅してみたい。

そんな憧れを強く抱いたのは、ある絵本との出逢いがきっかけでした。絵本といっても、その出逢いは幼少期ではなくハタチを過ぎてからのことです。「子ども」と呼ばれる時期を過ぎてからも、私は絵本に魅了され続けていました。その頃、幼児教育を学んでいたからということもありますが、絵本に惹きつけられる理由は、それだけではなかったように思います。大人になってから絵本を手にとった時の感覚を思い返してみますと、絵本のもつ世界観に加えて、その時々の自身の心のあり様が反映されて心に染み入ってくるような気がします。

話が飛躍しましたので始まりに戻しますと、わたしを海外への旅にいざなった絵本は、安野光雅『旅の絵本』です。この一冊を東京の絵本専門店で手にしたとき、鮮やかな色彩で描かれる海外の街や村の様子に魅了されたことを今でも覚えています。この風景を、この目で見てみたい!そう思わせる力が、安野さんの絵にはありました。ご存知の方も多いと思いますが、安野光雅の本には、絵ばかりの絵本がたくさんあります。それ故、自身の創造力や読む時の心情が色濃く反映されるのでしょう。絵本を片手に、一息ついて己と対峙する。そんな時間もいいものです。思いがけない自分と出会えるかもしれません。

大人になって絵本を読む面白さを、もう一つ。大人にとってみたら至極ちっぽけな出来事なのに、子どもはとてつもなく深く考えていて、時には考えが哲学的でさえあることを発見できる絵本があります。ヨシタケシンスケ『りゆうがあります』『もうぬげない』です。作家は大人ですから、子どもの心を想像して描いているのですが、かつて自身も子どもだったということに気づかされ、子どもと関わることが、それまで以上に面白くなる内容です。謎多き子どもの行動に、実はこんな意味があったのか!学術書とは違った視点で子ども理解が深まるかもしれません。

子どもが身近にいない大人にとって、絵本を読む機会は皆無に等しいかもしれません。当然、優先順位からいえば手に取る機会は圧倒的に少ないでしょう。でも、一冊の絵本から思いもかけない発見を得たり、日々の疲れがふっとゆるむ瞬間が訪れるかもしれません。本学に、「子ども運動教育学科」が開設されたことで、図書館にも絵本が豊富に揃いました。時には肩の力を抜いて、絵本の世界を楽しんでみてはいかがでしょうか。 

安野光雅『旅の絵本』福音館書店
ヨシタケシンスケ『りゆうがあります』PHP研究所
ヨシタケシンスケ『もうぬげない』ブロンズ新社

2017年5月30日火曜日

【TORCH Vol. 095】  1ミリの努力


1ミリの努力』


菅野 恵子

 
  私は幸いなことに、大学卒業後もバスケットボール競技を続けられる環境にいました。バスケットボールを本格的に始めたのは、小学4年生のころです。そのころから、(いつか指導者になりたいな…)と思っていたことを思い出します。

現役中は、指導者やチームメイトに恵まれ、何度か日本一を経験することもできました。引退を決めたのは、今から5年前。その後、所属していたチームのアシスタントコーチを務めることになりました。

それからチームを離れ、現在は大学で指導者として、チーム携わることができています。これまでの経験からコーチングを行っていますが、なかなかうまくいかないことを実感しているのも事実です。19年間も選手をしていて、ある程度高いレベルのバスケットボールを経験してきたのに、立場が変わると、こんなにも変わるものかと痛感しています。上手くなる、強くなることが、簡単ではないことがスポーツの面白さであることは理解しているつもりですが、未だに(自分がやっていた方が楽だな…)なんて思う時があります。勝てそうな試合に勝てないもどかしさは特に、選手の時とは違った感情になります。 

指導者になってから、以前お世話になったチームの監督から、一冊の本を紹介されました。井村雅代さんの「結果を出す力~あと1ミリの努力で限界を超える~」という本です。既にご存知の方が殆どだと思いますが、井村さんは日本のシンクロナイズドスイミングの日本代表監督です。 

その本の冒頭、『大切なのは「心の才能」を鍛えること』と書いてあります。井村監督は物事がうまくいかなかったら、心の中で「自分は頑張ったつもりだったけれど、きっと努力が足りなかったのだ。もっと頑張ろう。もっと努力しよう。」と思えるかどうかが大切で、これを「心の才能」と呼んでいるそうです。その「心の才能」で、1ミリでもいいから前に進む努力を続けることができるかどうかが一番大切だと述べています。この本には、井村監督が「心の才能」を伸ばすために何度も選手に言い聞かせてきた言葉の紹介がされています。 

以下は、この本に書かれている「心の才能」を伸ばすべく「心のスイッチ」をいれた30の言葉の一部です。 

    自分の取れる“一番”を取りにいくことが大切

~浮いてしまうことを怖がってはいけない~

    結果が出てこそ初めて、頑張った日々も輝く

~「私はがんばりました」は言い訳でしかない~

    「できない」わけがない。なぜなら「できるまでやる」から

~できる人が寝ている間に、できない自分が寝ていたら駄目~

    1ミリの努力」を出来る人が結果をだせる

~小さな目標をクリアすることの大切さ

    チームのレベルは、中間ではなくトップに合わせる

~各自が100%以上の力を発揮する秘訣~

    チームワークという言葉ほど、手抜きの人間を生み出す言葉はない

~レベルの低い絆は、傷の舐め合いでしかない~

    練習で100回やって99回できても、できなかった1回がでるのが本番

~オリンピックに魔物は棲んでいない~ 

ここに挙げた、たった7つの言葉からも、井村監督の厳しさがみえてくると思います。さらにこの本には、言葉に加え、一つ一つに説明や井村監督なりの根拠が載っています。

私が一番衝撃を受けたのは、上に載せた③の「できない」わけがない。なぜなら「できるまでやる」からという言葉でした。以下は、それに対する一文です。 

『シンクロで、一糸乱れぬ演技を見た観客の方が、皆さんこうおっしゃいます。「なぜあんなに動きがぴったりと合うんですか?」答えは一つです。合うまで練習するからです。できないわけがないのです。なぜなら、「できるまでやる」からです。人生は、うまくいかなくて当然。壁にぶつかって当然。だから、できるまで努力するのです。』 

競技は違いますが、今まで、これだけの覚悟で競技に向き合っていたのか、選手としても指導者としても、「できない」という選択肢を作らず、「できるまでやる」という、気持ちで取り組んでいたか…考えさせられました。

また、⑥に挙げた、「チームワークという言葉ほど、手抜きの人間を生み出す言葉はない」という言葉だけを見ると、私と正反対な考え方だなという印象を受けました。しかし、読み進めると、井村監督の言葉の意図が分かります。“失敗しても誰かが助けてくれるだろう”とか、“周りの人が自分の短所を補ってくれるから、私はこのくらいの力で大丈夫”という、中途半端な個人の集まりのチームワークは手抜きの人間を生み出す。しかし、個人個人が今ある力を出し切った先の、“レベルの高いチームワーク”であれば必要だということでした。しかし、指導にあたった大半が、甘えの先のチームワークに逃げ場所を作っているため、この言葉をかけていたようです。 

バスケットボールには、チームワークは欠かせません。逃げ場となるチームワークではなく、“レベルの高いチームワーク”を追い求めたいと強く思いました。

私の中の井村監督の印象はテレビを通して、「厳しい」「怖い」「スパルタ教育」などでした。本を読んでもその印象は変わりません。しかしこの本を読み、むやみやたらに厳しいだけではなく、本気で選手に向き合い、勝つための努力を惜しまず、挑戦しているのだと分かりました。 

全く同じようにはいかないと思いますが、井村監督の様に選手の「心の才能」を伸ばし、結果が出るように、私自身が努力していこうと思いました。19年間も長い間、バスケットボールを続け、(いつか指導者になりたいな…)と思っていたことが現実になった今、次の目標に向け、指導者として選手とともに、日々1ミリでも進んでいけるようにしたいです。 

壁にぶつかった時や何かに迷ったときは、「心の才能」を伸ばせる時だと思います。その時にこの本を読んでみると、自分と置き換えられる言葉があるかもしれません。「心のスイッチ」を入れたい時などに、是非、読んでみてください。

2017年5月26日金曜日

【TORCH Vol.094】 限界的トレーニング

黒澤 尚
 
 
 超一流になるのは、「才能」だと思う?「努力」だと思う?
 
 そんな質問を投げかけると彼女達の多くは、心の奥底では才能と言いたい気持ちを抑えながら「努力」と答えてくれた。彼女達の中には潔く「才能」と即答した者もいた。
 これは私が大学日本女子代表チームのコーチをしている時、あるミーティングでの選手とのやりとりである。 

 なぜ、どんな分野にも驚くほど優れた人というのが存在するのだろうか。
 
 スポーツ、音楽、科学、医療、ビジネスなど、どこにでもその才能で周囲を圧倒するひとにぎりの傑出した人たちが必ずいる。そんな優れた人に出会うと、当然ながら私達凡人は、生まれつき人並以上の何かを持っていると考える。「彼は才能に恵まれている」、「彼女には本物の才能がある」というように。
 
 だが、本当にそうだろうか。世の中にはスポーツ選手、医者、教師、営業マンなどそれぞれの分野でエキスパートとして突出した成果をあげる特別な人が存在している。しかし、こういう人たちには特別な「才能」があることは間違いないが、むしろそれよりはるかに強力であること、そして何より重要なのはこの才能はあらゆる人に生まれつき備わっていて、適切な方法によって引き出せるものであることが心理学的研究や事例から少しずつ明らかになってきた。
 
 今回、紹介するフロリダ州立大学心理学部教授アンダース・エリクソン著『超一流になるのは才能か努力か?』という本には、その適切な方法によって素晴らしい才能を引き出した様々な研究成果と事例がまとめられている。
 
 この本にまとめられている、ある事例を紹介する。
 
 音楽界で神童・モーツアルトが持っていた絶対音感は、ある人だけが持つ特別な才能と考えられていた。しかし、心理学者の榊原彩子は、二歳から六歳までの子ども二十四人を集め、ピアノで演奏される和音(コード)を音だけで聞き分けられるようにするため、数か月に渡ってあるトレーニングを実施したところ、全員が絶対音感を身に付け、ピアノで演奏される個別の音符を正確に識別できるようになっていた。
 
 七ケタの数字を覚えるのが限界であったごく平凡な記憶力しかない学生がいた。しかし、彼は心理学者と共にあるトレーニングを繰り返し行ったところ、最終的に八十二ケタも記憶することができた。
 
 上記に記した適切な方法、あるトレーニングのことを「限界的トレーニング」と言う。限界的トレーニングとは、その人の限界を少し超える負荷を与えることであり、人間の脳と身体にもともと備わっていた適応性を活かし、新たな能力を生み出していくものである。
 
 私達大学教員は日々、教育現場に立ち、様々な視点からその学生に適した教育・指導を試み模索しているが、その分野において才能がある、ないと一言で片づけてしまうことも少なくない。この本にはそんな考え方を払拭し、教育、スポーツチーム・選手の指導、仕事、子育てなど様々な分野に応用できる数多くのヒントが隠されている。また、自分をブラッシュアップしたいと考えている方にぜひ読んでいただきたいお勧めの本である。

 私達大人がそれぞれの分野において工夫された限界的トレーニングを実践し、今、目の前にいる人の人生の可能性を切り拓く一助となればこれは大変素晴らしいことだろう。

2017年5月16日火曜日

【TORCH Vol.093】 スポーツの美しさ


                                         高橋 徹


 去る8月、熱狂と感動とともにリオデジャネイロ・オリンピックが閉会しました。今大会も日本人選手の活躍には目覚ましいものがあり、毎日眠い目を擦りながら、夜遅く(朝早く?)までテレビにくぎ付けになった方も多かったのではないかと思います。 

 さて、今回のオリンピックでのアスリートのプレーの数々を皆さんはどの様な観点で観ていたでしょうか?金メダルを目指して勝ち負けを競い合う様子に一喜一憂したでしょうか?一人ひとりの選手が背負うヒューマンヒストリーに感動したでしょうか?競技の専門家としてトップアスリートのプレーを分析していたでしょうか?知人や友人が出場していたためにまるで家族のように応援していたでしょうか?‥など。アスリートのプレーを観るという行為には人それぞれに多様な形があります。そのようなスポーツの観方の一つとして、アスリートのプレーの中に“美しさ”を見出すという変わった観方があります。 

 内村航平選手の鉄棒演技の着地の瞬間、男子陸上4×100mリレーのアンダーハンドパスの淀み無い繋がり、錦織圭選手のラリーの攻防後のドロップショットによる空間の静寂、柔道選手が一本勝ちを収める瞬間の技の繰り出し、今回のオリンピックにおいても沢山の美しいプレーを目にすることが出来ました。また、オリンピックに限らず、日頃テレビで目にするスポーツの中にもその美しさは存在します。野球選手が守備で見せる二遊間の球捌き、フットボールチームが見せる幾何学模様を描くかの如くのパス回し、あるいはイチロー選手がプレー中に見せる(魅せる)一連の所作、横綱が見せる立合いの所作など、枚挙に暇が無いほどに、スポーツにおける“美しさ”に私たちは魅了されているのです。

 今回ご紹介する長田弘編『中井正一評論集』に収められた数編のエッセーは、そのようなスポーツにおける“美しさ”の構造を見事に解明して見せてくれます。この本は美学者である中井正一の18編のエッセーが収められた一冊であり、その中でも特に『スポーツ気分の構造』『スポーツの美的要素』『リズムの構造』『美学入門』の4編には、スポーツにおける“美しさ”の様相が書き記されています。中井自身は明治の生まれであり、またその文章の多くが脱稿されたのも戦前(昭和初期)ということもあって、表現などに若干の古めかしさは感じられますが、現代を生きる私たちにとってはその文体のおかげでより深く文章に惹きつけられる気さえします。さて、『美学入門』の一節を紹介しましょう。 

ボートのフォームなどは、あの八人のスライディングの近代機械のような、艇の構造に、八人の肉体が、溶け込んで、しかも、八人が同時に感じる調和、ハーモニー、「いき」があったこころもちが、わかってこないと「型」がわかったとはいえないのである。しかも、それがわかった時は、水の中に溶け込んだような、忘れようもない美しいこころもちなのである。よく「水ごころ」とか「ゲフュール」などど、ボートマンがその恍惚とした我を忘れるこころもちを呼んで楽しむのである。それはまた他の人が見ても、近代的な、美しいフォームなのである。この気分が八人の乗りてに一様に流れてくる時、ひとりでにフォームは揃ってき、ゆるがすことのできぬもの、一つの鉄のような、法則にまで、それは高まってくるのである。 

 私はボート競技をしたことがありませんし、湖で漕ぐレジャーボートに乗った経験がある程度です。しかし、この文章を読むことで、先日のオリンピックでも行われていたボート競技の選手たちの心持や、その競技を観て素人である私であっても美しさを感じることのできた理由が少しは理解できるような気がします。

 スポーツを観ていると、とかく勝ち負けという結果にのみ目が行きがちになってしまいますが、勝か負に至るまでのプレーの中にもスポーツを観る面白さが潜んでいるのかもしれません。スポーツのプレーに“美しさ”を感じたことのある方はもちろん、そんな事を気にしたことがない方にとっても、この本はお勧めの一冊です。 

長田弘編『中井正一評論集』岩波文庫(青帯)

※『美学入門』はそれだけで一冊で上梓され、中井正一著『美学入門』朝日選書 としても出版されていますが、『中井正一評論集』の方が安価、且つ他の作品も併せて読めるのでお勧めです。