2017年3月29日水曜日

リレーエッセイ(Torch)の書燈掲載年月対比表(Vol. 1-92)


リレーエッセイ(Torch)の書燈掲載年月対比表(Vol. 1-92)
 

3 2017 (2) Vol.91~92

11 2016 (1) Vol.90

10 2016 (3) Vol.87~89

6 2016 (1) Vol.86

4 2016 (4) Vol.82~85

2 2016 (2) Vol.80~81

12 2015 (6)Vol.74~79

10 2015 (2)Vol.72~73

5 2015 (3)Vol.69~71

4 2015 (2)Vol.67~68

3 2015 (2)Vol.65~66

2 2015 (2)Vol.63~64

12 2014 (1)Vol.62

9 2014 (2)Vol. 60~61

7 2014 (4)Vol.56~59

6 2014 (4)Vol.52~55

3 2014 (11)Vol.41~51

12 2013 (7)Vol.34~40

10 2013 (5)Vol.29~33

8 2013 (3) Vol.26~28

7 2013 (5) Vol.21~25

6 2013 (3)Vol.18~20

5 2013 (2)Vol.16~17

4 2013 (1)Vol.15

3 2013 (4)Vol.11~14

2 2013 (4)Vol.7~10

12013 (3)Vol.4~6

122012 (3)Vol.1~3

 

 

 

 

2017年3月15日水曜日

【TORCH Vol.092】 古典的名著に触れる楽しさ

                                                                   久能 和夫


Ⅰ 「プラトン全集9 ゴルギアス メノン」 藤沢令夫訳 岩波書店
       1974年11月5日発行
Ⅱ 「メノン」  プラトン著 藤沢令夫訳 岩波文庫
     1994年10月17日発行 
 
Ⅲ 「メノン-徳(アレテー)について」 プラトン著 渡辺邦夫訳 
        光文社古典新訳  2012年2月20日発行 


 
 古典的名著と言われる書物を読むおもしろさは2通りあるのではないかと思っている。一つは,原文(と言っても,私の場合は日本語訳された文章であるが)そのものを自分好みで読み通していくこと。もう一つは作品に付けられている訳者による丁寧な「脚注・解説」文を参照しながら読んでいくおもしろさ。因みに,Ⅱ藤沢訳とⅢ渡辺訳の文庫本で比較してみると,Ⅱは本文138頁に対して解説部分は45頁。Ⅲに到っては本文134頁に対して解説部分は何と110頁にもなっている。
 プラトンが残してくれた数々の対話篇は,後者の訳者解説に導かれながら読み進めていく楽しさを与えてくれる作品の数々である。
 プラトンが残した30余りの対話篇。どの作品にも難解な哲学用語が使われておらず,読み易い文章である。しかし,それは表記上のことであって,対話篇全体に流れている「哲学的問い」は,21世紀の現代においても私たちを魅了し続ける内容に満ち溢れている。
 
 道徳教育論の講義の中で「徳について」を考えさせるために,プラトンの「メノン」を取り上げた。講義後に学生が提出した感想の中で「矛盾している」という言葉が目を引いた。「有るもの『徳とは何かという答え』を求めているのに,『それは無いのだ』と返されることは矛盾している」という内容であった。
 学生が指摘してきた「矛盾している」は,まさに当を得ている。何故ならば,問いを発したならば「解」があると捉えるのが学びとしてのセオリーである。授業の中で示された哲学の名著の中で問われている「徳とは何か」という命題に対して,ある意味において崇高なる古典的「解(定義)」を期待するのは当然の帰結であろうと言うことである。
 
 「メノン」は,プラトン哲学の入門書とも言われ,また哲学とはどういうものなのかについて考える最良の一冊でもあると言われている。'the gem’とイギリスの哲学者J.S.ミルに評されたこの作品はプラトンの著作の中で,もっとも読み易い部類に属する。
 「メノン」はプラトンの「初期~中期」への移行期の作品と言われている。初期の作品は,ソクラテスの対話を再現することに重点が置かれていた。移行期のこの作品で,プラトンはソクラテスの問いをメノンの問いに対比させることにより,それまでの単なる再現からもう一歩踏み込んだプラトン自身のソクラテスに対する想いが伝わってくる。
 私と「メノン」の出会いは,大学3年の秋であった。明確に記憶している理由は単純で,Ⅰに掲げた「プラトン全集第9巻」を入手したからである。大学生ならば哲学のひとつぐらいは語れなければならないだろうという気持ちで購入していた「プラトン全集」。数ある対話篇の中で,「メノン」に強く心を引かれた。それは,二十歳前後の若者(メノン)が老哲学者(ソクラテス)に果敢に論戦を挑む構図が心地よく,その展開に引き込まれていったのだろうと今振り返ってみると感じられる。
 
 「メノン」の冒頭部分。他の対話篇と比べてもかなり刺激的な入り方である。二十歳の若者がいきなり,六十歳を過ぎたソクラテスに唐突な質問をぶつけるところから始まる。
 藤沢訳では,次のように表現されている。
こういう問題に,あなたは答えられますか,ソクラテス。  人間の徳性というものは,はたしてひとに教えることのできるものであるか。それとも,それは教えられることはできずに,訓練によって身につけられるものであるか。それともまた,訓練しても学んでも得られるものではなくて,人間に徳がそなわるのは,生まれつきの素質,ないしはほかの何らかの仕方によるものなのか…」。
 私が初めて読んだのは藤沢訳であった。自分自身の年齢と重ねてストレートな物言いをするメノンに対する憧憬が強い引きつけとなって作用したのだろうと思う。
 藤沢訳が出されてから約40年近くを経て出された渡辺訳は全体のトーンが優しくなっている感をもった。藤沢訳との比較のために冒頭部分を示してみる。
「ソクラテス,あなたにおたずねします。お答えください。徳(アレテー)は教えられるものでしょうか?それとも訓練によって身につくものでしょうか?それとも徳(アレテー)は,訓練によって身につくものでも学ぶことのできるものでもなくて,生まれつきか,何かまた他のしかたで人々に備わっているものなのでしょうか?」
 
 J.S.ミルをして 'the gem’と評された「メノン」。二人の訳者はそれぞれ「珠玉の短篇」(藤沢),「宝石」(渡辺)と表現している。40年近い年月は,訳本が世に出された時代背景の違いだけでなく,読み手の「古典」に対する受け止め方も大きく変化させてきている。古典だけでなく,本離れ,活字離れも顕著になってきている現代において,古典的名著のもつ価値について,池澤夏樹氏は「知の仕事術」の中で,古典との付き合いを次のように述べている。
「古典を読むのは,知的労力の投資だ。最初はずっと持ち出し。苦労ばかりで楽しみは未 だ遠い。しかし,たいていの場合,この投資は実を結ぶ。つまり,たくさんの人が試み てうまくいったと保証されたものが古典と呼ばれるのだ。それはつまり,年齢と共に読 む力も伸びるということだ。世間知が増すにつれてあるいは人生の苦労を重ねた分だけ, 本の内容の理解も深まる。」
 
道徳教育論の授業での中で,「矛盾している」と声を発してくれた学生が,将来,珠玉の作品の中で語られている「探究のパラドックス(メノンのパラドックス)」に改めて出会う日が来ることを楽しみにしている。
 



 

【TORCH Vol.091】Strength Through Knowledge


                                               Jerry Parangi                                                
 


Before starting, I must give some insight into my past, so that you can understand why the book “Ka Whawhai Tonu Matou Struggle Without End,” by Dr. Ranginui Walker, had a profound influence on my life.
Kia ora (hello), my name is Jerry Parangi. I am Maori. I was raised in a Maori family with 3 brothers and 1 sister. We grew up in a poor coastal village with a small population of about 100 people, and everyone was related. We were also able to live off the sea and land. Having so many cousins next door was great! We always played outside using the trees for climbing and the sea for swimming. It was paradise and this was our Maori world. A lot of our learning as children came from our parents, but I was lucky to be raised with my grandparents. This was a very traditional practice where Maori culture was transmitted from our elders. I was exposed to Maori language and protocols; however I would soon learn that my Maori world view was not a universal view. 

My parents decided I should attend a separate elementary school to my cousins, so I was educated in a neighboring town. Maori were a minority group there, and the dominant culture was “pakeha,” (a person of predominantly European decent). (A Dictionary of the Maori Language, H.W.Williams, 1985). There was a huge cultural mismatch at school. Students sat on desks, and teachers touched our heads. These are considered culturally insensitive to Maori, and I always felt “out of place.” I remember my mother told me that they were physically beaten for speaking Maori at school. Institutionalized racism towards Maori back then and negative portrayal of Maori in the media, attributed to a stigma/shame for many of us in identifying as being Maori. 
 

In high school, our Maori cultural group seemed to be marginalized and “token,” only used on certain occasions. The Maori group was perceived as “uncool,” by some “Pakeha,” but more surprisingly many Maori felt the same. These negative perceptions affected our Maori group membership. It was frustrating that many felt this way, but I was determined to maintain my culture. 

After many years of struggling for Maori to be more respected in school, I decided to move. In my final year at high school, I attended a private Maori boarding school, located 400 km away from my hometown. The school had a strong emphasis on Maori culture and encouraged a Maori world view. This was one of the most challenging experiences that I had, but the sacrifice was worth it. I learnt so much about Maori culture and became a leader within our family. 
After graduating from high school, I studied a Diploma in Teaching at Auckland College of Education and a Bachelor of Education with a major in Child Psychology, a minor in Social Anthropology and Maori at Auckland University. It was impressive to meet many proud Maori, actively engaged there. 

At Auckland University, the most profound influence for me came when attending Dr. Ranginui Walkers’ lectures in my 1st year of studying Maori. The prescribed text was “Ka Whawhai Tonu Matou” Struggle Without End, by Dr. Ranginui Walker. A book that talked about pre-European contact of Maori through to early Maori contact with Europeans, colonization, implications of the British interventions and the progression of post-colonialism to the present day. 
The title of the book is the based on the famous proverb by the great chief Rewi Maniapoto, who was fighting against the New Zealand government troops in 1864, when called upon to surrender uttered the words, “ka Whawhai tonu matou ake ake ake,” meaning we will fight on forever. (Manuka Henare. 'Maniapoto, Rewi Manga', from the Dictionary of New Zealand Biography. Te Ara - the Encyclopedia of New Zealand, updated 30-Oct-2012).  

Struggle Without End,” gave me the knowledge to understand in depth Maori history and culture and the implications between Maori and Pakeha cultural world views. I gained confidence from the stories of struggle of our old people and the sacrifices made for future generations. I was able to process different world views in contrast to Maori. I found a new strength through this knowledge. I am confident and comfortable being Maori, and hope to teach as much about my culture while learning about other cultures too.  
References

Manuka Henare (2012) 'Maniapoto, Rewi Manga', from the Dictionary of New Zealand Biography. Te Ara - the Encyclopedia of New Zealand, updated

H.W.Williams (1985) A Dictionary of the Maori Language, 7th Ed, P.D HASSELBURG, GOVERNMENT PRINTER, WELLINGTON, NEW ZEALAND

2016年11月8日火曜日

【TORCH Vol.090】手塚治虫先生

末永精悦

 手塚治虫先生の誕生日は11月3日です。ご存命であれば、今年で満88歳となられます。残念ながら、平成の訪れとともに手塚先生は他界されました。しかし、いまだに手塚先生の作品は出版され続け、新たな読者をも得ています。その秘密はどこにあるのでしょうか。

 私が初めて読んだ手塚作品は、鉄腕アトム「アトム大使」の巻です。鉄腕アトムは光文社が発行している「少年」という月刊誌に連載されていました。「アトム大使」はその雑誌に昭和26年4月から連載され、昭和27年4月からは「鉄腕アトム」と題名を変え、昭和43年まで連載が続きました。ですから、正確に言えば、私が初めて読んだ手塚作品は、「アトム大使」です、とこの段落冒頭の一文を書かなくてはならないはずです。しかし、私は昭和30年生まれなので、リアルタイムで「アトム大使」を読むことはできなかったのです。カッパブックスという名で、「少年」に連載された人気漫画が作品ごとに単独で編集され、本誌と同じ大きさで発売されていました。昭和38年に鉄腕アトムがテレビアニメ化されたのを記念して、カッパブックスの鉄腕アトム版が増刷されました。全体を通しての題名が「鉄腕アトム」となり、記念すべき第1巻の第1話が「アトム大使」の巻という扱いになったのです。その第1巻を親におねだりして買ってもらい、私は読んだのです。鉄腕アトムの虜になるのに時間はかかりませんでした。

 鉄腕アトムを皮切りに、私は手塚作品にのめりこんでいきました。「ビッグX(エックス)」「0(ゼロ)マン」「マグマ大使」「W(ワンダー)3」「バンパイア」「どろろ」などを夢中で読みました。と言っても、全部を買って読むわけにはいきませんでしたので、友人と貸し借りしたり、貸本屋で借りたりして読み漁りました。その様子は、親に不安を与えてしまいました。何度も漫画禁止令を出されました。が、次第に親は何も言わなくなりました。あきれ返ってしまったのだと想像します。丸を基調とした清潔でスピード感ある画風が私の心をとらえて離さなかったのです。また、正義とは尊いものであるが、そう単純なものではないことを教えてくれたのです。

 そんな私が中学生になった頃、「火の鳥 黎明編」が「COM」という月刊誌で連載され始めました。「COM」とは手塚先生ご自身が立ち上げた虫プロ商事で発行した雑誌です。ですから、この雑誌では手塚先生はのびのびと自分の書きたい漫画を発表することができたのです。「火の鳥」が全世界の人々に読み継がれている要因のひとつと言えます。生命の神秘、生きる意義や使命、愛情、憎悪などについて、私が考えるきっかけを与えてくれたのです。この漫画を通して人生を学んだと言っても言い過ぎではないと断言できます。

 読書とは書を読むことです。それを通して私たちは自分を育てています。自分がこだわりたい作者あるいは作品を見つけられたら幸せだと私は思います。わたしが最も好きな手塚作品は「きりひと讃歌」です。

2016年10月24日月曜日

【TORCH Vol.089】こころを知るための本2冊 『こころを大切にする看護』『子は親を救うために心の病になる』


江口 千恵
 長いこと新幹線通勤であったので、あらためて在来線の通勤で驚く光景がある。ほとんどの乗客が見つめているのはスマホである。電車を読書の時間としているおとなの姿は少ない。そういいながら私も、かばんには文庫本は入っているものの老眼のせいで文庫本の文字がつらい。そしてハードカバーは重い。
 読書は、電車の時間やその待ち時間を楽しみに変える道具であった。電車に乗り遅れた残念な時間も本さえあれば怖くなかった。しかし今、本がスマホに変わった。
 そのことはしかたがないこととしても、本を読んでほしい理由がもう一つある。大学生に就職試験の指導をしながら感じることは、学生の言葉の持ち合わせが少ないことである。そのことで学生自身がじれったい思いをしている。自分の気持ちを伝える適切な言葉が見つからないとか、自分の今の状況を言葉で表現できないとかいう思いである。しかし、言いたいことがうまく表現できないと感じる経験は何も若者だけではない。私自身も感じることではある。この問題の対策として、私は本を丁寧に読み、書かれている言葉に心を止める経験が大切であると思う。人と話す経験も大切ではあるが、一瞬で消える言葉と立ち止まりかみしめることができる言葉とは違う。社会に出たら、なおさら自分の思いを適切な言葉で表現することが大切になる。ぜひ本とつきあってほしい。どんな本でもいい。図書館や書店の本棚の前に立つときっと手に取りたくなる本に出会うはずである。そして心に残る言葉と出会うはずである。

さて、せっかくの機会なので、わたしが何度も読んで、付箋やラインだらけにしている本を2冊紹介したい。

「こころを大切にする看護」  樫村通子
 親友の書いた本である。書いてほしいと言い続けたのは私である。そしてできてから何度も読んで付箋が加えられている。タイトルは看護の本のようであるが、援助職者のバイブルのような本である。生徒や学生の問題が見えないとき、自分自身の方向が見えないとき、職場や家族間の心のすれちがいやトラブルのとき、折に触れてその都度ページをめくっている。ユングやフロイトの理論が身近になる。
援助職である看護師や教師・介護士などが対人関係から生まれるこころの問題にぶつかったときに論理的に、その問題の本質や自分の心を守る方法を説明してくれている。それは、筆者の看護師と臨床心理士のキャリアだけではなく、自分自身の生きてきたすべての経験に裏打ちされたうえでの学問の構築が、その文章の奥行を作っている。
「人を助ける職業は、自分自身を大切にできないと、本当の意味で相手を助けることはできない」と述べている。 タイトルの大切にする「こころ」は相手のこころであり、自分自身のこころでもある。

「子は親を救うために『心の病』になる」  高橋克己
 衝撃的なタイトルで思わず買った本である。精神科医である筆者が臨床で出会った親子の様々なケースとともに親と子の在り方について説かれている。
生まれたときから赤ちゃんに備わっている体の機能を「生命システム」とし、社会に適応するために学んでいくであろう心の機能を「心理システム」と筆者は名付けている。
 「この心理システムを学び、作り上げていく時、母親が決定的な影響を与える。ひとは誰でも、ひとりの母親、ひとりの父親しか知らない。その親からの影響の大きさは、いくつになっても客観視できないものである。」とも筆者は述べている。自分の家や両親を客観視することで、自分自身の理解が深まる。そして、自分自身の自立にあり方を考えることにもつながる。心に突き刺さる言葉があるかもしれないが、重く抱えていた思いから解放される言葉に出会うかもしれない。自分自身の親との関係を振り返り、さらに自分と息子や娘との関係につながるたくさんの気づきがあった。

【TORCH Vol.088】学生の皆さんにお薦めしたい一冊「修身教授録」

紀野國 宏明

去年の春、仙台市内の病院に急遽入院することになった兄のお見舞いに行ったところ、ベットに横になっていた兄が「これ読んでみろ、面白いぞ」と言って私に一冊の本を手渡してよこした。
これまで大変忙しく働いていた兄だったので入院の退屈しのぎに読んでしまった本を私にくれるのだろうくらいの気持ちで軽く受け取ったが、見ると「修身教授録」との題名、何やら戦前の古めかしい匂を感じた。
とはいっても、食道ガンで入院した兄がわざわざくれるというのだから、私は素直に受け取り、簡単なお礼を言って家に持ち帰えった。
当時の私は、まだ教育の世界とは似ても似つかない組織で働いていたので、万が一にも自分が教員になるなどとは全く想像もしていなかったし、ましてや兄が逝ってしまうとは考えもしなかった。
今になってみると、もしかしたら兄は私が教員になることを予知していたのか、予感でもあったのかと思ってもみるが、何とも不思議な、この本との出会であった。
そのうち気が向いた時にでも読めばいいだろうくらいの気持ちで持ち帰ったのだが、ページをめくって読んでみると、私は、たちまちこの本の魅力に引き込まれてしまった。その一節一節に心から感動し、夢中になってしまったのだ。
この本は、森信三という先生が、京都大学哲学科を卒業し、大阪の天王寺師範学校で講師をされていたとき、教師の卵である学生に行った講義の記録である。
私がたちまち引き込まれてしまった理由は、おそらく、だれでも一生に一度は考え、悩むであろう事柄について、森先生は一つ一つ真正面から取組み、決して逃げず、丁寧にわかりやすく学生たちに講義されている様子が、生き生きと記述されているからだと思う。それは、間もなく定年退職を迎えようとしていた私にさえも、はっきりと伝わってきた。
森先生が講義された人生において大切な事柄の一つ一つは、実は、私がことごとく色々と理由をつけては後回しにしてきたことばかりだった。考えること自体から逃げ、私自身がいい加減で安っぽい生き方をしてきたことに改めて気付かされ、そのことを心から恥ずかしくさえ思った。
まさに世にいう「教師」とは、このような方を言うのだろうと思うと同時に、その偉大さといったようなものを感じた。

論より証拠ではいが、ここで、その一文を紹介する。

「第2講 人間として生まれて」

さて、諸君らは大部分の人は、大体今年18歳前後とみてよいでしょうね。してみると諸君らは人間としての生を受けてから、大体16,7年の歳月を過ごしたわけであります。
ところが、それに対して諸君は、一体いかなる力によって、かくは人間として生をうけることができたかという問題について、今日まで考えてみたことがありますか。
今ここに諸君らと相見えて、互いに研修の第一歩を踏み出すに当たっては、諸君たちが受け入れると否とにかかわらず、どうしてもまずこの問題から出発せずにはいられないのです。われわれ人間にとって、人生の根本目標は、結局は人として生をこの世にうけたことの真意を自覚して、これを実現する以外にないと考えるからです。そして互いに真に生き甲斐がある日々を送ること以外にないと思うからです。・・・ところがそのためには、われわれは何よりもまず、この自分自身というものについて深く知らなければならぬと思います。言い換えればそもそもいかなる力によってわれわれは、かく人間として生をうけることができたのであるか。私たちはまずこの根本問題に対して、改めて深く思いを致さなければならぬと思うのです。・・・

といった具合で、森先生の講義が進んでいくのだ。
これを読み始めた私は、当時、この講義を受講した学生たちも同じ気持ちだったに違いないと思いつつ、森先生の講義にみるみる引き込まれていった。
この本は、人生の終盤に差し掛かった私のような者にさえ、改めて人生の深さに気付かせ、そして多くの真理を提示してくれている。

学生の皆さんに、是非、一度、手に取って読んでみて欲しい一冊です。 

お勧めの図書 「修身教授録」

著者 森信三
発行者 藤尾英昭
発行所 致知出版社

2016年10月3日月曜日

【TORCH Vol.087】「三国志」に関係する5種類の本について

菊地 博

 今回「書燈」に原稿を寄せるということになって,文章を書くことの得意でない私はかなり悩みました。自分が本の紹介や書評めいたことを書けるのだろうかと。けれども,逃げるわけにもいかず日にちも迫ってくるので,なんとか書くしかないと思い,自分が何度か読み返したりしてきた「三国志」に関係する5種類の作品を取り上げることにしました。皆さんご存知の有名な話なので,改めて皆さんに新しい知見や素晴らしいものをお示しすることはできないと思いますがお許しください。

 5種類の作品とは,まず吉川英治の「三国志」,つぎに北方謙三の「三国志」そして陳舜臣の「諸葛孔明」さらに井波律子の「三国志名言集」最後に三国志新聞編纂委員会編の「三国志新聞」です。

 そもそも私が「三国志」に初めて接したのは,小学校高学年の頃の少年向けの読み物でした。その時は筋を追うことが主体で,劉備たちがどうなっていくのかを中心に読んでいたような気がします。もちろん判官びいきの例にもれず,とにかく,劉備よ負けるな,孔明よなんとか策をめぐらせろと思っていたわけです。その時の幼いながら,わくわくしたりした経験が,大人になってからの読書に結びついていったと思います。その後,吉川本の「三国志」には高校生の時文庫本で出合っているのですが,さすがに大人の読む物になると面白い,とは思ったものの,どういう訳か小学校の時のような興奮を覚えませんでした。
 しかし,就職した次の年,昭和54年7月頃に「講談社が,吉川英治全集を新装版で毎月一冊ずつ発刊する」旨の広告が新聞に載りました。しかも第1回配本は,全集の第21巻となる「三国志」から始めるとありました。(もちろん全集の売れ行きに大きく影響する大事な第1回配本ですから,一番売れ筋になりそうな「三国志」を選んだわけでしょう)それを見て私は学校に出入りしていた書店にすぐさま申し込みをしました。いよいよ10月になって学校にいる私の手元に本が届いてみると,まず装丁が素敵で,気に入りました。(いかにもミーハーな私です。)そして家に帰って読み始めるとどうでしょう,高校生の時とは違って,小学校の時以上に引き込まれていきました。その夜は,夢中になって3時ころまで読んでしまいました。(当時は1,2,3年生の英語を全て一人で教えていたので,その準備のため読み始めるのは9時,10時でしたので,たくさんは読めないのです)また次の日も夢中になってしまい,3時ころまでということを一週間ほど続けて1冊を読み終えました。それからは,毎月の配本が楽しみで,本が来るのを待ちかねて「三国志」の世界を楽しみました。作品の世界に引き込まれ,登場人物と一緒に泣いたり喜んだりして,4か月の楽しい読書期間となりました。この時の体験のおかげで,その後先にあげたような作品を買って読むことになります。
 吉川英治の「三国志」と北方謙三の「三国志」を比べると,流れるような美文調と感情移入を誘う吉川流と,作者の思いは示しつつも淡々と冷厳に事実を述べて読者に判断の余地を残す北方流の違いが,私には感じられます。たとえば,それぞれの作品の始まり方にそれが表れていると思われます。吉川は,むしろ売りをしてためた貴重な金を持って病身の母のための茶を求めに来た劉備が,賊につかまったことが元で張飛に出会い仲間になるくだりから始めています。一方北方は,すでに仲間である劉備と関羽張飛らが,600頭の馬を約束をきちんと守って送り届けるところから始めています。吉川の文を読むと,劉備の優しさと粘り強さが一番に感じられ,一方,北方の文では,劉備の信義を最も大切にする剛毅な心が伝わってきます。この差が最後まで二つの作品の差になっているように思われますが,どちらが良いというのではなく,どちらも良いと思わせてくれるのは,二人の作家の力のすばらしさと人柄の力というものであるように思います。どちらの作品も最後は,孔明の死を描いて終わっていますが,吉川の文では,部下に囲まれて静かに息を引き取ります。一方,北方の文では,孔明が部下に知られずに一人で亡くなります。この辺りも,二人の描き方の違いとして面白いように思います。
 さて,陳舜臣の「諸葛孔明」は,もちろん,孔明から見た三国志ということになります。亮という字が「明るい」という意味を持ち,孔明という名が「はなはだ明るい」という意味を持つというところから始まりますが,こちらは吉川や北方の作品ではあまり前面に出てこない孔明を描いています。私が一番驚いたのは,長身の孔明の妻もまた長身で,彼と同じように(当時としては珍しく)物を発明したり策を講じたりするのが好きで,それを夫に対等に話すことです。もちろんこれは創作の世界であり本当にそうであったかどうかはわかりませんが,それを差し引いても面白く感じました。クライマックスである最後の五丈原を描く場面では,彼が貫き通した主君への思いとそれがかなわないと分かっているつらさが,孔明の人間としての美学を感じさせつつ,他の作品同様静かに幕を閉じています。
 井波律子の「三国志名言集」は羅漢中の「三国志演義」を基にして,名場面を名言で紹介しながら,読み進むうちに三国志の大きな流れをたどることができるようになっています。井波氏は筑摩書房刊の「三国志」の共訳もされている方です。「演義」を基にしていることから,漢文調の歯切れと調子の良い名言名文に触れられるのが特徴です。
 最後は三国志新聞編纂委員会(日本文芸社)による「三国志新聞」です。名前と装丁だけですとトンデモ本のように見えますが,そういうわけではなく,ビジュアルを使っているため分かりやすいという特徴があります。この作品は,中国のテレビ局が作成した「三国演義」というビデオを基にした写真を入れて作った見開き2ページで一つの事件を報じた新聞という形式になっています。まあ,半分受け狙いのようなところもありますが,面白い作品です。
 さて,ダラダラと文を続けてきましたが,「三国志」はたくさんの作家の作品があるだけでなく,漫画やゲームにもたくさん取り上げられています。登場人物の多彩な人物像やその交流の美しさ、権謀術数等,魅力は数え上げたらきりがないと思います。そして細部には創作があったにしても,大筋このようなことが現実にあったということが一番の魅力だと思います。そして,どの作品に触れても,劉備と孔明らが守ったは蜀は魏に下り,その魏も曹家から司馬家へと政権が移ってしまう歴史を知っているだけに,万物流転,諸行無常の思いを感じながらも,登場人物の素晴らしさ,生きざまに惹かれるのではないでしょうか。